1 misakikawanaさんのために

id:misakikawanaさんからコメントを頂いた(id:dokoiko:20040725)のでお邪魔したのだった。24話の感想(id:misakikawana:20040721)ではご都合主義と総括していて、何話かを確認すらしない状態の26話感想(id:misakikawana:20040805)では「単純な勧善懲悪」「単純に図式化できる話だった」「やっぱつまんない」と感想しています。基本的に言えばmisakikawanaさんの視角は間違っていないと思う。「ふたりはプリキュア」は単純な物語なのだ。
misakikawanaさんはちゃんと知っていると思うのだが、単純だからと言ってそれ自体が悪いわけではない。物語の筋を複雑にした最近のライダーが楽しいかというと、少なくとも僕にとっては面白くないし、ライダーより筋が単純なデカレンジャーが面白いかというと、少なくとも僕にとっては楽しい。物語の主線が単純であれば、その空白をディテイルの描写に振り分けることが出来るわけだ。「ふたりはプリキュア」の主線をドツクゾーンとのプリズムストーンを巡る物語、副線をなぎさとほのかが思いやりを獲得する物語とすると、この物語は主線より副線のほうが圧倒的に多い。それはそれでどうなのかという問題はある。しかし現代の小さいお友だちにとって親友を作るとか家族の絆に気づくとか自分の身近な人々の大切さに気づくというのは結構大きな課題である。なぎさが成長してゆく物語としてみると、ドツクゾーンとの主線が単純だからこそなぎさの成長段階が明確に表現できたのだろうと思う。
勧善懲悪については、対立軸はたしかに「善=プリキュア」と「悪=ドツクゾーン」だった。しかしプリキュアたちをみてみると、なぎさにとっては「善」であることをほかならぬなぎさ自身が引き受ける理由を探す物語であった。またほのかにとっては理念という他者が設定した枠とか規範というものだけを生きる場所から、血の通った友情を生きる場所を見つける物語だった。彼女たちの物語はどちらも「善=プリキュア」になるという決意と自覚を十分に持つためにキリヤの消滅まで待たねばならなかった。ということは26話のうち23話ぐらいまではまだ善悪を巡る物語というところにはたどりついておらず、善=プリキュアであるということを引き受ける物語だったということだ。その後26話までの数話でジャアクキング様というかドツクゾーン本体と対決したわけだ。「ふたりはプリキュア」がプリキュア=等身大以上の役割を引き受ける決意の物語だったから、そこから話をねじってしまうとかえってわかりにくくなる(面白くなくなる)のではないかなあとおもう。
(misakikawanaさんへの返信がつづく)