1 革命戦士になれなかったイルクーボ

考えてみればイルクーボは初登場以来ずっと最強の魔人として描写されていた。5人の魔人たちの首領格だった。勝手ばかりする4人の魔人とジャアクキング様のとりなし役を沈着冷静にそつなくこなした。体力オンリーのゲキドラーゴにはやさしくアドバイスをした。子供への憎悪で血が上ったポイズニーには冷静さを取り戻しなおかつ彼女の痛いところをチクリとつついて戦場へ送り出した。敵であるほのかを通じて光と闇との間に自らの存在意義を求めさまよっていたキリヤを無言でやさしく見守った。みながいなくなれば圧倒的な戦闘力でプリキュアを軽くあしらい、その知識で石の番人を別の次元から引きずり出した。
しかし今回わかったことは、彼は物語から浮き上がっていたということだ。彼はあまりに強力な魔人として存在させられてしまった。以前登場した4人の魔人の背後に控える大物黒幕として、彼は十分に役割を果たした。あの4人より弱いのにまとめ役になれるはずはないからだ。そしてくじけそうな魔人たちを奮い立たせ戦地へと送り出す役割も完璧に果たした。ゲキドラーゴの物語、ポイズニーの物語、そしてキリヤの物語にとって大切な役割を果たした。それもこれもイルクーボが完璧に近い存在だったからだ。だが彼が魔人として一人残ったとき、彼はあまりに強力すぎる存在になってしまっていた。そしてあまりに無口すぎた。以前の魔人4人がそれぞれ持っていたような、プリズムストーンをめぐる物語を変奏するための自我を持たなかった。
彼はただ強力なだけだった。だから物語の中で浮き上がってしまった。そして物語の中で彼に与えられた役割は、プリキュアたちにとって7つそろったプリズムストーンの力を描写するだけに消費される「かませ犬」でしかなかった。
物語にとって、敵は強ければそれで良いわけではない。たとえば最近の格闘技はボクシングやプロレスよりもプライドやK1に客が入る。ボクサーたちはプライドやK1の格闘家たちより強いかもしれない。しかし観客は純粋な強さを見るより、プライドやK1のような脚色された物語の結末として試合が位置付けられているプライドやK1を選んでいる。プロレスラーたちは格闘家たちよりも与えられた物語は多いかもしれない(アングルとかそういうやつ)。しかし観客はより真実味のある闘いの場としてのプライドやK1を選んでいる。
そういう観点からすると、ポイズニーがもっとも物語と戦闘力にあふれた魅力的な強敵だったということだろう。そして彼女と平行して登場していたキリヤはもっとも物語を背負った魅せる敵だったということになる。そういう二人の後で物語を一切背負わないただ強いだけのイルクーボを出そうとすれば、結局あまり盛り上がらない展開になってしまう。彼の後ろにはジャアクキング様が控えているから、彼を倒せば! という物語としての盛り上がりは期待できない。また彼はあまりに強く描写されたため、プリキュアたちとのつばぜり合いの物語を編むこともできない。そして彼はジャアクキング様に忠実すぎるため、彼自身の自我によってプリズムストーンをめぐる物語を彼自身の物語へと変奏することもできない。結果、物語にもてあまされてしまったイルクーボはかませ犬になってしまった。
ずっと前に魔人たちをザビ家の人々にたとえたとき、イルクーボはギレンだと書いた。ギレンも実質的な総大将として弟妹たちを指導していたが、結局はろくに物語に投入されないままキシリアに暗殺されてしまった。ガルマ、ドズル、キシリアのようなネタにされるセリフを残すことができなかった。それと同じことがイルクーボにも言える。かわいそうといえばかわいそうだ。
噛ませ犬といえば長州力だが、イルクーボは革命戦士にはなれなかった。