ねこまくらさん?

いまのところ唯一、ドツクゾーンの全てをキリヤの内面とみなした[感想]加速の5 闇の声に言及していただいています(id:henecy8, ねこまくら, 2004-05-30の2)。あの章の全てをキリヤ視点での小説として書いてみようかとも思っていたのでした。

なるほどこれはあくまで想定視聴者たる少女たちのための物語なんだ。

との記述がありました。それで考えてみたのですが、今までなぎさとほのかは二人合わせてひとつの完成された人格になるのだろうと何度かほぼプリでは言及してきました。確かに情のなぎさと理のほのかを合わせれば、なかなかたどり着けない悟りを開いた人のような人格ができあがる。しかしそこにひとつ足りないものがある。闇だ。押さえつけようとすればするほど重みを増してゆく心の闇だ。恨み、妬み、不満、軽蔑、嫌悪、悪意… 
もちろんなぎさにもそのような感情がたまに見え隠れすることがある。しかし基本的になぎさは天性の爛漫さでそれらを乗り越えている。そしてほのかにはいまのところそれらの感情があるかどうかは描写されていない。しかしプリキュアのふたりを眺めているリアルな少女たちや我々大きなお友だちには、おそらくそれらの感情を意識する機会はプリキュアのふたりよりずっと多いだろう。我々はそれらの感情と折り合いをつけることに結構なエネルギーを使いつづけているだろう。
だからなぎさとほのかとの感情交流だけではリアルな視聴者の心理構造をモデル化することはできない。そこにキリヤが加わることで、ようやく視聴者の心理での葛藤を構造化できるわけだ。キリヤが表現する心理情況とはおそらく「自分の嫌なところも認めてもらいたい」ということだろう。なぜならなぎさとほのかは登場時点からすでにそれぞれの居場所で認められていたからだ。