4 それぞれの世界を生きる

ふたりはプリキュア」の物語を周辺の登場人物から眺めてみると、なぎさとほのかと周辺の登場人物は基本的に影響を及ぼしあっていないということに気が付く。かろうじてほのかと科学部員たちがほのか1号をユリコ1号に命名変更をしたということでユリコが感動したという事実はある。しかしその感動がユリコとほのかの間に今後何かをもたらすかというとあまりそういうことはないだろうと思う。基本的にユリコはほのかを崇めていたので、その思いが強くなるということはあるだろう。しかしユリコに何かを考えさせるような手触りのある違和感となるかというとそういう種類の出来事ではない。ユリコは今まで通りほのか様状態の自分を見つめなおすことはないだろう。見つめなおせばよいかという問題はあるのだけれど、ほのかべったりで自分を卑下するかのようなユリコの現在がユリコの今後をよりよくするかというとそうでもないだろうと僕は思う。そしてユリコとの科学部発表会でほのかが何か精神的に成長したかというとそういうわけでもないだろう。そういえば志穂莉奈となぎさとの関係に焦点を当てた話も出ていない。
そういうわけでなぎさとほのかとの圧倒的に濃密な関係構築が突出して描写され、周辺の登場人物との関係は両親ですら一方的であり、学園生に至っては断絶しているといってもいいだろう。ありがちな「みんな仲良く思いやり」というスローガンなんか全く意に介さない展開だ。しかし現実のリアルな生活では、「ふたりはプリキュア」に描かれるような限られた小数との濃密な関係構築とその他多数との断絶という構図こそがリアルな人間関係だ。
いままでの「友情出演一度だけ」が定型となるほど繰り返されているというのは、なぎさとほのかがプリキュアだからといってみんなが仲良くなるわけではないし、それどころかみんなと関係を構築できるわけでもないということを表現しているのだろう。