1 プリキュアは突然に

 日曜日の8時30分が待ち遠しい。土曜日の夜から待ち遠しい。うーむ。「ふたりはプリキュア」が土曜日の夜から待ち遠しい30過ぎのオヤジ… それが今の私だ。正確に言えば、「ふたりはプリキュア」が土曜日の夜から待ち遠しい30過ぎのオヤジでしかも学習塾の教室長… それが今の私だ。いけない。いけなさすぎる。ぶっちゃけありえない…

 と思いながら気が付くと塾の机に座ってけなげに(というわけでもないが)鉛筆を動かしている女子中学生たちのうなじをじーっと眺めていたのは第7話までだった。女子中学生たちはつやつやとしている。チョコパフェとかイケメンとかマジで夢中になれる年頃らしいが、塾で一年間毎週4日ずっと彼女たちを観察していると、やはりそういうものにマジで夢中になっているらしいのだった。30過ぎのイケてない教室長にはマジで夢中になっていないらしい。残念がっている自分を発見し、うおっ僕は今残念がっているいかんこれではロリな人ではないかと少しうろたえるのであった。しかしでは残念がっている先に僕が何を求めているのかといえば、まあ彼女たちの成長を電柱の影から見守っていられればいいなあというぐらいのことだ。まあマジで夢中になられても教室長としては困ってしまう。しかし蚊帳の外というのもそれはそれでしょんぼりだ。んーそういう心理的なことだけではなく、女子中学生のお肌はなぎさやほのかと同じようにすべすべなんだなあと考えていると、うおっ僕は今アニメを起点にして現実の彼女たちを見ていたこれはいかんこれではアニメオタクではないかと少しうろたえるのであった。

 いろいろなところでプリキュアの第8話はすでに放映直後から神認定を受けているが、僕もこの回を見ながら「プリキュアは最後まで見届ける」という決意が僕の中に芽生えしまったのを認めざるを得なかった。まあ心の中の暗い部分や落ち込んだ心情を表現するためとは言えあんなに影をつけまくったら鼻につくとか、藤Pと木俣が「これ、どういう状況」と言うのはなぎさが「ちょっと雪城さんっ」と怒鳴った後じゃないといけないじゃないかとか、「あなたとはプリキュアってだけで、友達でもなんでもないんだからあっ」の後で列車を通したのなら、ラスト「行こっ。ほ・の・か」の直前にも列車を通すべきだろ(絵も使いまわしで済むし、意味的にも使いまわすべきだし)とかいろいろ言いたいことはある。

 といいながらも、僕は実のところプリキュアを結構だらだらと見ていたのだった。だって、お化け掃除機とたたかうんですよ。絶対に友達にならないような頭のいいお嬢様と元気な体育会系女の子が(プリキュア同士とは言え)突然買い物に行ったりハイキングしたり仲良くなるんですよ。小さなお友達のためわかりやすい図式にしなきゃいけないとは言え、ぶっちゃけありえない。そんな風に思ってました。小さい頃は世界名作劇場や変身ヒロインものをよく見てましたが、僕はいわゆる大きなお友達ではないなあと思う。今から考えると少女アニメをそれなりに多めに見ていたのに唯一萌え心でアニメを見たのはクリーミーマミだけだったように思うし、最近はアニメ(というかテレビを)ほとんど見ていない。ではなぜプリキュアを見始めたのかというとそれはどれみ枠だったからだが、どれみも結局飛ばし飛ばしだらだらと日曜朝の暇つぶしに見ていただけだった。ナージャなんてやっていたのも知らなかった。