ありきたりな設定

前回の超訳id:dokoiko:20060216)はかなり誇張したアンチさん文体でやりました。doinkiesさんはプリキュアの物語を読んでいない。だがしかし彼女の指摘は正しいわけだ。良くある主人公の造形、ありきたりな敵とその目的、誰にでもすぐに思いつきそうな基本設定。それはその通りで、個々に異議を唱えても仕方がない。
ふたりはプリキュア」をしっかりと見てしまった僕のような視聴者はこう問うべきなのだ。こんな冴えない設定ではじまった「ふたりはプリキュア」が、あんなとてつもない作品に化けてしまったのは何故なのか。
ひとつには主人公がふたりだったということだろう。対等なふたりのありきたりな造形の主人公が立ち代り、反発し、惹かれあうところに物語が生まれたのだ。
ふたつにはS☆S第2話でカレっちが「ならば、何故戦う」と言った。これではないかと思う。西尾大介氏をはじめ製作者さんたちはここに取り付かれた。何故女の子向けの番組で主人公が戦うのか。何故なぎさとほのかは戦うのか。何故彼女たちはふたりで戦うのか。
それは主人公だけではなく、敵もみなそれぞれの理由を確かめながら戦った。敵が敵らしく敵だったのはポイズニーまでで、キリヤを出してしまってから、製作者さんたちは敵が何故戦うのかについても答えが出るまで問をやめなかった。
でも戦いにおける意味に焦点を当てたのはは無印までだ。MHは九条ひかりとあのお方を据えることにより、更にコレを推し進めた。そしてこの私が生きる意味とはどこにあるのかという問題に回答を与えようとした。もちろんそれは九条ひかりにとっての、あのお方にとっての回答である。