2 ヒーローを拒否する物語へ

無印は彼女たちが世界を救うものとしてのプリキュアを受け入れる物語だった。しかし現代において、自分が世界と正義を背負って戦うという覚悟はリアリティを持たない。もちろんお話として綺麗にまとめることはできる。しかし綺麗に描かれたとしても、そのお話は我々の現在とは異なるどこかへと向けられている。それは我々のお話ではない。我々のリアリティはそう告げるのだ。
僕が無印で二度戦われた決戦に感じる居心地の悪さは、ごく普通の人間のひとりであるなぎさとほのかが正義であろうとする時、それまでのなぎさとほのかとは断絶していると感じるからだと思う。「与えられた今を一生懸命生きる」ことは、無印終盤でなぎさとほのかが掴み取った真実だった。これはこれでひとつの回答でありえる。しかし虹の園に生きる人々は、最終的に光と闇との戦いからは隔離されている。
虹の園の人々からは、なぎさほのかの戦いが見えない。だからなぎさほのかが「世界を救う」ことを意識しても、それはなぎさほのかからの一方的な覚悟として我々の目に映る。彼女たちが守ろうとする「世界」からのフィードバックが無いわけだ。悪くすれば「勝手に世界を守ろうと意気込んでいる」とも映ってしまうところであり、そのあたりが決戦における居心地の悪さにつながっていたのかなと思う。
しかしMHでは、世界や正義については全面的に九条ひかりとあのお方に振っている。九条ひかりとあのお方は世界そのものであり、なおかつ世界を守ることがあのお方を救うという個人的な感覚とリンクしている。
他方プリキュアたちにとって、今回の決戦は世界についての課題を回避することになる。彼女たちにとって課題は「九条ひかりを救うために、自分たちだけで最後まで戦う」という地点に落ち着いた。世界を救うために合理的であるならば、九条ひかりを(現段階における彼女たちの認識では)捨て、クイーン復活を選択せざるを得ない。
しかしなぎさとほのかは、九条ひかりをクイーンに還元しないことを選択した。これはちょっと難しい話で、これに続いてバルデスたちが以下のように評価するのも間違いではない。

バルデス「いいだろう」
サーキュラス「下らん感情を大切にして、自らの世界を滅ぼすがいい」
ウラガノス「闇が全てを支配する時がついに来た」
ビブリス「光と闇の最後の戦い、そして」
バルデス「これがお前たちが見る最後の光だ」

ウラガノスがまともなことをしゃべったのが初めてのような気もする。それはいいとして、この状況でクイーン復活を拒否するのは無謀である…… 条件付きで。