4 絶叫に見るキリヤ前とキリヤ後の違い

ほのかの絶叫

第5話でピーサードを相手にほのかが語ったのは以下のような言葉だった。

「力でねじ伏せて自分の思い通りにしようとするなんて、そんなの絶対認めない」
「みんな一生懸命に生きてるのよ。理解しあって尊敬しあって生きてるんじゃないの。力ずくでみんなを支配しようとするなんて、そんなの絶対間違ってる」

で、これがジャアクキング様との第一次決戦では、次のように変化している。

「あなたが光の園を壊すと、メップルとミップルが悲しむのよ」
「私たちは私たちにとって大切なものを守りたいだけ」

ほのかはピーサード戦時点では、抽象的な集団としてのみんなを思い描いている。しかしジャアクキング様との戦いでは、一転してメップルとミップルだけに言及している。人々どころか友達や家族までをすっ飛ばして、プリキュアの世界だけに閉じている。

闇の側の絶叫

また、闇の側についても運命とか宿命という言葉が出てきたのはキリヤ後である。無印第5話ピーサードの言葉を見る。

「さあ、オレ様の力の前にひれ伏すんだ」
「どんなに抵抗しようと、所詮おまえ達はドツクゾーンに飲み込まれるだけの存在なのだ。黙ってジャアクキング様の意志に従っていればいい」

振り返ってみるとこれらの言葉も意味としては運命に従えということだ。しかしここでの主軸は「力」である。力があるものは力の無いものを従えて当然だ、という闇の主張に対して、プリキュアたちが対置するのは「力の無いものも生きる権利があるのだ」という言葉だ。
これが第26話ジャアクキング様になると、力についてよりも運命のほうに主軸が移っている。ジャアクキング様は絶対の力を持つキングなのだが、彼は力のことは問題にしていない。それよりも彼自身の未来をも含む、運命そのものへの服従プリキュアたちに聞かせつづける。ジャアクキング様は運命論者であり、彼は別にドツクゾーンによる全ての征服を目指しているわけではなかった。「闇が全てを飲み込むことは世界の運命だから、自分はそのような世界の運命を全うするために生きているだけだ」という無気力の塊が、ジャアクキング様の正体だったのだ。
ということで、光と闇との対決が、キリヤ後には運命に対する態度の違いになっている。