2 憂鬱な科学部の日々

MH第17話では科学部の部員たちがなかなか乗り気にならず、ほのかが部長として科学部をまとめきれていないということが明らかになったのだった。これまで学園が誇る知性として送辞を読むほどの存在だったほのかが、なぜ科学部の部長として憂鬱になるようなことになったのだろうか。

個人としては(ほとんど)非の打ち所がないほのか

ほのかを語る上で真っ先にあげられるのが、彼女は理の人として常に正しい行動を取ろうとしており、なおかつほぼそれを成し遂げているということだろう。なおかつほのかは礼儀正しく、努力家で、勉学に秀でており、人の気持ちを思い遣り、機転が利き、容姿も端麗で、さらにお家は順調である。

しかし、理に火がつくと止まらない

これはほのかの資質として徐々に輪郭が固まってきたものであり、ほのか自身でもだんだんと自覚するようになった。振り返ればMH第9話では自分で自分の欠点としてこれを挙げた。ほのかはここで「私って夢中になると熱くなっちゃうところがあるから、後輩にもつい言い過ぎちゃったりして」と自己分析している。この性質が摩擦を引き起こしたのは無印第18話で、聖子の手紙を破り捨てたキリヤと対決した時だった。無印第12話でポイズニーがほのかにブレキストン博士の幻影を見せた時には、ブレキストンの「ふたりで宇宙の真理を見てみようではないか」という持ちかけに屈してしまいそうになっていた。また無印第10話は一年前の誕生日だったが、ここでも自分勝手な強盗さんたちに説教をかましていたのだった。強盗さんたちがみんな根はいい人だったから良かったものの、ほのかの目の前で理が踏みにじられた怒りで客観的な状況が読めなくなっている。それは無印第5話でナンパーマンの人たちに説教をかましたことも同じである。
これをまた時間軸に沿ってたどり直してみると、無印第12話の時点まででは、まだほのかは自分の理に火がついたことを暴走だとは感じていない。というか、理にとらわれて暴走してしまうほのかの資質が欠点として表面化していなかった。それがキリヤとの対決で初めて摩擦を引き起こすことになった。だがこの時点ではキリヤが人として目覚めて聖子に謝ったこともあり、ほのかがこの状況を自分の欠点として後にまで引きずるような事態に発展することは無かった。
だがそれもマックスハートに入ってからは明らかに、理によって暴走する資質はほのかの欠点として描かれており、なおかつほのか自身がそれに気がついていてしかし暴走によって生じた摩擦を収束させることが出来ずに悩むことになっている。

しかし、人間関係をうまく修復できない

ほのかは理の人として状況を冷静に観察し、周囲の人たちを気遣いながら的確なアドバイスが出来る。しかし上記のように理がダイレクトに絡むとほのかは抑制が効かなくなり勝ちであり、もうひとつ重要なことには、状況に自分が巻き込まれた場合に全くその理が機能しなくなってしまうということだ。特にそれが顕著だったのが無印第8話だった。そしてマックスハートのほのか話ふたつ(第9話、第17話)の両方とも、ほのかは自分で動くことが出来なくなった。
それはおそらく、自分が正しいことをしているのにもかかわらず状況がこんがらがってしまったからで、ほのかがこころから信じている「正しい道」を進んでいるのだからそれ以上ほのかにはすべきことが何なのかわからない。たとえばMH第9話で「実験の時は真剣にやらない場合があっても仕方がない」とかMH第17話で「ちゃんと発表ネタをどれにするか意思表示しなくても、自発的に発表に向けて一生懸命がんばれなくても仕方ない」など、自分が信じる正しい道を踏み外してまで妥協するということはありえない。そこで妥協することは、理の人としての自己を否定するということであり、ほのかの生き方を変えてしまうぐらいの大問題である。というかほのかがほのかである限りそれはできない。そのようなほのかのまっすぐ過ぎるところとその後動きが取れなくなってしまう不器用さが「ほのかがんばれ」と応援したくなるような微笑ましさになっており、イイところなんだよな。
ただし無印第8話から見れば、MH第17話で悩んでいる時点でさえほのかは十分に学んでいる。無印第8話でのほのかは、とにかくなぎさの気持ちなど全く考慮していない。

  • 友達になってくれた(とほのかが勝手に感じている)美墨さんの役に立ちたい→美墨さんは藤村君のことが気になる様子である→自分は藤村君と幼馴染でもあり、美墨さんと藤村君の真ん中にいる→ふたりを紹介すれば美墨さんの役に立てる

という自分回路で導き出した行動をしたと言う点では同じようでもあるのだが、無印第8話のストーリーはそれをなぎさに全面拒否されたところから動き出している。そもそも友達だという確認も成立していないうちに友達でもなんでもないと言われるのは理とは何の関係も無く、もっと言えばほのかがどうにかできる問題でもない。無印第8話は、人間関係をうまく取り扱えないという点だけを抽出した構成になっている。だがなぜ人間関係に不慣れなのかと考えると、やはりほのかがこれまで理の人として自己認識し、人々からも認識されていたからであって、それゆえ情をはぐくむ経験に乏しかったからだとは言えるだろう。
(つづく)