愛が無い

愛があるってすごいことだ。下記の方々はみんな生き生きした文体で楽しそうだなあ。生き生きした文体は、心を晴れ晴れさせるなあ。ほんとうにそう思う。そういうことです。


チラシの裏
これを書いてあまつさえ日記に載せてどうなるものでもないのだが、一応こういう事を反省しているということで。最近のプリキュア、特に今回のMH第15話などはとてもよい話数だと思う。思うのだが、思ったように言葉が出ない。無印のころに比べると、明らかにほぼプリのできが悪い。論点は絞れないし、展開は雑だ。一方みちたろさん(http://www.ymg.urban.ne.jp/home/mi1/p01.html)とかいっしゅうさん(http://www.geocities.jp/isshuu_a/precuremhtop.html)とかぷらとーさん(http://sakusaku.sakuratan.com/)は相変わらず好調のようで、ということは不調の原因は番組の出来具合ではなく、僕にある。なんだろうなあこれはと考えつつ、書いていれば何とかなるかもという甘い見通しで5月毎日更新の荒行へと自分を追い込んでみた。サーキュラス連打のように必死で書く。ウラガノス突進のように必死に書く。ただしそれでも一向に向上の気配すら訪れないのだった。ハーティエルアンクションに無力化され、マーブルスクリューマックスに跳ね返され、エクストリーム・ルミナリオに撃退される。で、颯爽登場!その名はhikaruminosekaiさん(タコカフェバー(九条ひかり&シャイニールミナスと運命を共にするブログ))に至り、ようやく気が付いた。
dokoikoにはルミナスへの愛が無い
もっと早く気が付いてもよいことだった。だいたいid:dokoiko:20050514のようなネタにしている時点で、ひかりを完璧に対象として眺める位置に自分があることに気づけよ… id:dokoiko:20050519#p2に先ほど追記したのだが、これまで僕はキリヤや分身たちが綴った「失われるべき者たち」の物語に強くコミットしていた。キリヤが消えていったら書けない状態に陥ったし、分身たちが親殺しを決心したら勢いが出た。キリヤ以降、僕は「ふたりはプリキュア」をなぎさほのかのメインストーリーからではなく、キリヤや分身たちのサブストーリーから見るようになっている。特にキリヤ編では放映後もずっとキリヤの心理のなかに入り込んで抜け出せないような感じがあって、その状態だとキリヤがなにをどのように眺めているのかが僕にも見えているように思った。そういうことを思い出しながらマックスハートでの状況を考えてみると、放映中はともかく放映が終るとその時点で僕とお話が途切れてしまい、僕は日常の僕に戻ってしまっているのだなあということに気が付く。ぶっちゃけマックスハートの登場人物に感情移入していないわけだ。で、お話をどういう視点から見てよいのか思い当たらないので、ウリえもんさん(http://members10.tsukaeru.net/urya/nicky/nicky.html)やぷらとーさんの論点を借りるという姑息な(それほど切羽詰っているのですが)手段に打って出たりしていたということだ。ということでだからやめるとかいうわけではないのだが、自分の置かれている現状を自覚したような気がするので今後ほぼプリをどうしたら納得できる展開に持っていけるかを考慮中。
</チラシの裏

MH第15話についてはこういうことらしいですよ>ひでさん。あとどういう機能を持たせるのかなど考えていないのだけれど、はてな記法に「チラシの裏記法」というのを作って、さらにそれをスーパー化すると「スーパーチラシの裏記法」って呼称になるので面白いだろうなあ。名前だけは。