1 破戒から格律へ

まずは現状整理。無印前半、後半、MHと闇の存在たちが入れ替わるにつれて、それぞれの生きる原理がどんなものであったかを確認しておこう。無印前半、プリキュア最初の闇の存在が誰だったかというと、ピーサードから始まる5人の魔人たちだった。途中でプリキュア側に寝返ったキリヤと中間管理職として活躍が遅れて結局ジャアクキング様とかぶってしまったイルクーボは別として、基本的に5人の魔人たちは力の信奉者だった。自分が求めるものを手に入れるためには、他人を力でねじ伏せることを当然のこととしていた。ピーサードが「じゃかましいっ」とか「力のないお前に何ができる(力のある俺は何でもできるということだ)」とかのたまわっていた。またポイズニーも最終戦で「力を伴わない正義は、悪にも劣る」と叫んだ。二人のこの言葉は、5人の魔人時点における闇の存在が何を原理として生きていたのか(生きていたのか?)というのを現している。
彼らは「力こそ全て」という価値観をもっていた。力さえあれば何をしてもよいのだというのは、虹の園=我々が住むこの世界の標準的な価値観とは相容れないものだ。とくにプリキュアを見ている小友にとっては相容れない。虹の園から見た場合彼らは破戒者であったわけだ。
5人の魔人の後に出現したのは、ジャアクキング様が消滅直前に放った3人の分身たちだった。彼らは5人の魔人たちと同じように、彼らの存続をかけて光の力を奪いにきていた。ただし魔人たちのようには、破戒者としてプリキュアたちに襲い掛かってきたわけではなかった。プリキュアの感想として彼ら分身たちが何をしたかったのか、放映中はいまいち分からないとの指摘は多かった。分身たちの話が進展するに従い、結局彼らは壮大な親子ゲンカをしていたのだということが分かるのだった。分身たちにとって本当の敵が親であるジャアクキング様だということがはっきりするまでは展開もいまいちすっきりしなかった。
分身たちの話が終わり、二年目のマックスハート。出てきたのは子供に生まれ変わったジャアクキング様と、彼を庇護する新たな闇の存在だ。彼らは今のところ、それまでの闇の存在とは違って力を絶対視するような価値観を示していない。それどころか子供であるジャアクキング様を思い遣り、彼を守るために動いている。彼らは彼ら自身の意志で動いている。
これまでの闇の存在はジャアクキング様という絶対無比の存在に支配され、命令をこなすために動いていた。強きものに服従していたわけだ。より強きものには服従し、弱きものは服従させるという連鎖の中で生きていたわけだ。
ところが今回のサーキュラスウラガノスには、絶対無比の支配者がいない。彼らに命令を下す独裁者がいない。ということは、彼らは少なくとも今この瞬間に関しては恐怖に支配されていないわけだ。彼らは彼らの意志によって、洋館の少年を守ろうとしている。この場合彼らを動かすのは恐怖ではなく、彼ら自身の意志である。彼ら自身の内なる価値観=格律によって動いている。