影山さん補遺

id:dokoiko:20050315にて脚本メンバーの影山由美さんの脚本を考えてみたのだが、ウリえもんさんからコメントをいただきました。もともと影山さんの脚本を考えたのはウリえもんさんのひとこと(晒な★日記・Max Heart, 2005年03月13日(日))がきっかけなので、コメントをいただくのはまあ想定の範囲内だ(といいつつ実は非常にうれしいありがとう)。とても感謝しつつでもその論考はとても示唆にあふれているのでこんなところにコメントで載せるのはもったいないですよご自身のところで発表したほうがよいのではないですかとちょっと心配。

# 南瓜右衛門 『(中略)22話のほのかの泣く場面は、影山さんオリジナルではなく、その場面を入れることが全体的なストーリーを構成する上で(脚本家相互の話し合い等で)決められていたんじゃないでしょうか。他の例としては47話のキリヤ登場の場面とか。それらがどこか展開がしっくりこない面があったのに対し、結婚式や合唱の話でグッと良くなってきているのは、ストーリーを進行させる必要があまりなく、規制が少ない状況で影山さんが充分に持ち味を出せていたからなのではないかと。そのあたりから、影山さんには個人技に優れつつもチームプレイに課題の残るバスケ選手、みたいなイメージがありますね。MH第6話も、1つのお話としてはまとまりながらも、前回のヒキをざっくり無くしてしまったり、ポルンとひかりの信頼関係の構築に唐突な印象が否めないあたり、いろんな意味で影山さんらしかったかな、と。…なとと、また我ながら偉そうに批評こいてますが、影山さんに是非頑張っていただきたいという気持ちは本当なんです。信じて下さい!(瞳をとても輝かしつつ)』(id:dokoiko:20050315コメント欄)

第22話でほのかがキリヤの死に打ちひしがれるシーン、第47話のキリヤ再対面シーンなどはシリーズの根幹にかかわる(根幹にしては線が細い気もするが)展開なので、個々の脚本担当さんに与えられるマストだろう。
影山さんの脚本については、OKを出す立場の人から最終的なOKが出たからこそ製作されて放映されたわけだから、プリキュア組の総意としてそれでよしとしたわけだ。それでウリえもんさん曰く「チームプレイに課題の残るバスケ選手」を思わせる脚本なのだとすると、実は影山さんにはけっこう自由裁量権があるのではないかと思える。それどころか本当はものすごく優遇されているのではないかとすら思えてくる。だって個人技に走ってもそれを許されているわけだ。
影山さんはプリキュア文芸部として、放映にアクセントをつけるためにわざわざ突拍子も無い課題を背負っているのかもしれない。たとえば「この話は学園のマドンナが出てくる話にしてね。でも意地悪なマドンナはナシ」「次の話は忠太郎がしゃべること。最後にほのかを泣かしといて」「結婚式って女の子の憧れだからよろしく」「そういえば合唱大会の話をやってなかったな。よろしく」とか。知らんけど。