5 勧善懲悪だったのか

論旨としては、ドツクゾーン光の園の戦いという視点で眺めると全体としては勧善懲悪というメッセージが表現されていると思うのだが、「ふたりはプリキュアドツクゾーン編にとってそれはサイドストーリーだと思う。ドツクゾーン編のメインストーリーはなぎさとほのかがプリキュアであることを決意する物語である。プリキュアであることの決意とは、ドツクゾーンの魔人とはいえ意思をもつ存在を消滅させる(つまりは殺す)決意である。その決意を支える基盤が自らの近くにいる他者を思い遣る心であり、自己中心的な論理で他者を害する者たちを許さないという心である。
id:misakikawana:20040806さんが「キリヤが消えたことで、物語は単純化し、ドツクゾーン イコール 悪 になってしまった。」と書いている。おそらくそうだろう。僕もそう思う。みちたろさんがid:dokoiko:20040807へのコメントで

ジャアクキング様の「すべては闇に還る」とかクイーンの「表裏一体」という発言からは“懲悪”という観念は出てきませんし、なぎさとほのかの言葉(「大切なものを守りたいだけ」など)も、自分たちの立場の有限性を理解しつつなお自分たちの戦いを戦う、という意味ではないかと思います。ただ“ドツクゾーン=敵”という構図が変わらなかったという意味では“単純”ではあった(抜粋)

と書いている。おそらくそうだろう。僕もそう思う。とはいえみちたろさんのこの一文にはいくつかの論点が含まれていて、僕もそう思うと言い切れるところとちょっと違う立場だなと思うところがある。
みちたろさんが言う通り、第26話の脚本を検討していくと善と悪はあちらとこちらというような断絶の関係ではないということをなんとか織り込もうとしているのは明らかだ。突然そういう設定が出てくるのは「ふたりはプリキュア」の例によって例の如くちょっとどうかと思う。まあとはいえそういうことなのだと了解しよう。
(つづく。起承転結の起だけでつづくになってしまいすみません。続きは明日です)