ふたりはプリキュア スプラッシュ☆スターを心配するべきですか。

原文はこれ

ジョンに聞け

ふたりはプリキュア スプラッシュ☆スターを心配するべきですか。
2006年2月15日

質問:

私はプリキュアファンです。あなたの先日の記事を見てあなたもファンだと知りました。そこであなたにこの質問をするべきだと感じました。スプラッシュ☆スターにおいて、なぎさとほのかを新たな主人公に置き換えるという東映の判断をどう思いますか。自分で考えるつもりは十分あるのですが、なんとなく考えられずに打っちゃってしまっているということは認めます。私がプリキュアを大好きなのは、キャラクターたち、彼女たちの関係描写そして戦闘シーンなどが理由です。主人公が入れ替わることで、私が好きなこれらの要素が失われてしまうことを心配しています。そんな私の考えは間違いでしょうか。

回答:

この二年と二週間にわたり、私は日本で放映された98話の本放送および2本の映画を見る機会に恵まれてきました。と言うわけで私がプリキュアの超大ファンであると自己紹介しても許されるだろうと思います。だから三年目のシリーズである「ふたりはプリキュア スプラッシュ☆スター」において決定された大幅な変更について、あなたが抱く不安を私は十分理解することができます。あなたの関心にこたえられるよう、まず一般的な説明を行い、それから私の個人的な考えを述べることにします。
AnimeNationのフォーラムに参加している日本人のひとりが書いていたところによると、親たちが自信を持って自分たちの子供に見せられるような番組として、新しい「ふたりはプリキュア」を作るのが目標であると、東映アニメーションが公式に表明した。言い換えると、スプラッシュ☆スターにおける東映の公式な目標とは、プリキュアにおける暴力的シーンを議論や講義が起きないぐらいに抑えるということだ。またこれも表明されてはいないのだが、プリキュアの視聴者層である女児たちに重点を置いて、より幼い主人公を新しく持ってくる必要性を東映の経営陣が感じているのかもしれない。「ふたりはプリキュア Max Heart」の最終回で、なぎさとほのかは中学校を卒業した。ということは想定視聴者層よりも彼女たちは年上になったということだ。スプラッシュ☆スターの主人公である咲と舞はなぎさとほのかより年若く、視聴者である日本の女児たちが感情移入しやすくされている。この二年間で、プリキュアは日本の新作アニメの中でもっとも成功した番組となった。だから想定視聴者にあわせて番組を再構成することで、このシリーズの収益性を向上させようと、東映アニメの経営者たちが考えるのはもっともなことだ。しかしながらそうすることで、プリキュアをここまで押し上げる原動力となった作品世界を東映が壊してしまうという危険性もまた存在する。
言うまでもなくプリキュアがここまで日本の子供たちに受け入れられた理由は、その見事なスピード感やアクションシーン、加えて魅力的な登場人物たちのおかげだ。プリキュアは大人や大きなお友達にもカルト的な人気を誇ったのだが、それは伝統的な魔法少女アニメの中にドラゴンボールZのような物語世界と幾分かの萌え要素を融合させたからだ。マーシャルアーツと魔法少女という革命的なコンビネーションは、無印とマックスハートの前にドラゴンボールおよび少女格闘アニメであるエアマスターのディレクターを勤めた西尾大介氏にその功績がある。しかしスプラッシュ☆スターのディレクターは西尾氏から小村敏明氏へと変更された(小村氏はこれまでボクシングアニメ「リングにかけろ」やプリキュアのいくつかの話数を手がけており、プリキュアおよび格闘アニメに不慣れと言うわけではない)。現在まだスプラッシュ☆スターは第2話までしか放映されていないので、この番組の行く末を判断することは難しい。
言われるところでは、日本のファンにおけるスプラッシュ☆スターの評価は二つに分かれており、前作の焼きなおしに過ぎないという批判と、プリキュアシリーズの再出発であるとの評価が出ている。スプラッシュ☆スターの第1話について言えば私は前者であり、第2話については後者である。スプラッシュ☆スターの第1話は無印第1話の繰り返しであり、かつ無印よりもインパクトが薄くなっている。第2話はすばらしい向上を見せてくれたが、これは咲と舞とに友達の、キュアブルームキュアイーグレットとにパートナーの、ふたつの絆が結ばれていたからだ。さらにスプラッシュ☆スターの第2話では、戦闘シーンにおいて満足するに十分な仕事をしていることも理由だ。新たなプリキュアチームは先代に比べて攻撃的ではないし身体を使うこともないのだけれど、スプラッシュ☆スターの第2話でのキュアブルームキュアイーグレットは今後積極的かつ攻撃的にもなりえること、敵の攻撃を身体的に受け止めるようになりえることを示していた。第1話を見た後で私は多少消極的になっていたのだけれど、第2話はおそらく先代からのプリキュアファンを納得させただろうと思う。

東映はアニメーターたちを雇用しているが、本質的に言えばアニメ製作会社ではない。東映の経営者たちはビジネスマンであり、アニメ製作者ではない。だから彼らの決定はアニメファンたちの忠誠度よりも事業としての必要性によって行われる。東映はこれまでにもいくつか失態を犯しており、だからアメリカのアニメファンたちはプリキュアの行く末を案じている。ドラゴンボールZが物語として決着を見たとき、原作者である鳥山明氏はドラゴンボールシリーズを終わらせようとしたのだが、東映の経営者たちはこの金の鳥をもう少し働かせようと試みた。そして失敗作と言われるドラゴンボールGTが製作された。ドラゴンボールGTは大成功とは言えず、ドラゴンボールZの話数に比べ4分の1も続くことなく終わることとなった。OVAとして製作した「聖闘士星矢 冥王ハーデス冥界編」についてはひどく否定的な批評がなされていると聞いている。これは資金不足のためやっつけ仕事をしたということだ。アメリカのファンが身にしみているのは、東映が行うアニメDVD販売における需要と供給についての調査が、これまで幾度となく甘いものだったという事実だ。とは言うものの東映はきわめて成功している会社であり、経営的に東映はドル箱のシリーズをだめにしたいと思っていないだろう。現時点ではスプラッシュ☆スターが今後どうなるか、またファンがどう反応するかを断定するのは難しい。二年という歳月で物語を構築してゆくことができた先代のマックスハートに比べれば、最初の2話時点においてスプラッシュ☆スターには少々足りないところがある。しかしスプラッシュ☆スターの幕を開けたこの2話は、通常の意味において言えば悪いわけではない。西尾大介氏の手法になれてきた大人のプリキュアファンにとって、スプラッシュ☆スターは刺激的ではなくなると思われる。しかし開始2話で示されたスプラッシュ☆スターの基調を考慮するに、年来のプリキュアファンもおそらく批判的ではなく、受容的な態度でこの新シリーズを受け入れるようになるだろう。思うにこの作品がだめになるというよりも、かなりよいものになる(もしくは悪くないものになる)要素のほうがあるだろう。