2 オトコノコ的、オンナノコ的

フラチョ

行動において明確に、フラッピはオトコノコ的役割を、チョッピはオンナノコ的役割を果たしている。
1)外部と語るのは常にフラッピである。たとえば「ふたりにお願いがある」と語るのがフラッピ。またスペック好きというか、物事を説明するのがフラッピ。
2)気持ちを語るのが常にチョッピである。「救ってほしい」と言うのがチョッピ。
3)カレハーン様が出てくると、外部=カレハーン/内部=プリキュアとなる。先舞を見ながら「変身して」とチョッピが言い、カレハーンを見ながら「急げ」とフラッピが言う。
4)だから「やつらの狙いは僕たちラピ」「ふたりは逃げるチョピ」「二人を守ることは」「僕たちの使命ラピ」となるわけだ。その後一度地面に叩きつけられたあと「早く逃げるラピ。プリキュアを守るラピ」「チョッピたちの使命チョピ」となるが、これは使命という言葉がすでにフラッピから出ているためすでにこの言葉は内部で語られうるものになっているからだ。逃げる/守るというのは敵を含んだ状況で発せられる言葉であり、フラッピが言わなければならない言葉である。

咲舞

それは咲舞についても同様である。ちょっと出かけてくると外部へ向かうのが舞であり、お母さんに呼ばれて戻ってゆくのは咲である。ぬいぐるみじゃないよねと自分の世界にひきつけて帰納的に理解しようとするのが咲であり、生き物みたいねと演繹的に理解しようとするのが舞である。「わかったわ」と舞が言い、「やってみる」と咲が言うのだ。

 3 選ばれしふたり

プリキュアになる運命

先代プリキュアと当代プリキュアにおいてもっとも異なるのは、当代が選ばれし特別な存在であることが明確にされていることだ。先代はたまたまプリキュアになってしまったという描写になっていた。美墨家には突然メップルが飛び込んできた。でも雪城家にはミップルがずっとしまわれていた。とはいえ無印第4話の美術館見学で明らかにされたのは、ミップルが時代を超えてたくさんの人々を渡り歩いたということだった。
先代、とくになぎさは「なぜ私たちが戦わなければならないのか」という問題を処理しなければならなかった。なぎさが戦う意志を決めたのは無印第11話で亮太がゲキドラーゴの巻き添えを食った時だった。無印第9話でメップルがゲキドラーゴに捕らえられた時には、メップルがいなければ変身できないということではなく、なぎさはそもそも戦う気力を失って泣いたのだった。
しかし当代プリキュアは、5年前にフラチョと咲舞がすでに出会っていた。フラチョは「咲舞を出会わせること」と「咲舞をプリキュアにすること」を自分たちの使命であると言った。フラチョたちは咲舞だけを待ちつづけたのだ。咲舞がプリキュアになることは、5年前から約束されていたということになる。

特別な名前

これについては今後変わるかもしれないけれど、第1話という特別な位置にある話数でこうだったということで。咲舞というのはなぎさほのかに比べると、かなり運命を背負った名前となっている。EDにクレジットされている友人の名前は仁美と優子である。先代の志穂莉奈に比べると、かなり古い感じの名前となっている。両親の名前は日向家が大介と沙織、美翔家が弘一郎と可南子。まったく第二次ベビーブームまでの命名である。周辺の人物がこれだけリアルな名前をもっているにもかかわらず、咲舞だけが咲舞という特別な名前をもっている。

特別な造詣

人物の造詣は、なぎさほのかに比べると子供に描かれているが、咲舞はあまり変わっていない。しかし周囲の人物たちは、明らかに先代の時とは異なり瞳が小さく描かれている。志穂莉奈と同じ位置に立ちそうな仁美優子が、先代におけるその他大勢のような顔をしている。また家族についても造詣のリアルさが増している。
おそらく先代と当代とでは、アニメ的な描写とリアルな描写との描きわけをする境界線が異なっている。先代の時には、子供と大人との間にこの境界線が存在した。とにかく子供はアニメ的に描かれるべきカテゴリであり、大人はリアルに描かれるべきカテゴリだった。
しかし今回のSS第1話では、咲舞フラチョとそれ以外すべての人々との間に、アニメ的描写とリアルな描写の境界線が引かれているように思われる。咲の妹であるみのりと、咲舞の5年前を比べると、子供であっても咲舞は特別な造詣を与えられている。これは絵のレベルで咲舞が特別な地位にあることを示しているように感じられる。