おわり〜MH第47話
論理的な意味での最後の分岐点は、
までであった。それ以降の成り行きはぶっちゃけどうでもいい。世界は不確定なのだ。確かなことは自分が世界にどう向き合うかというところまでだ。
だからプリキュアたちがどのように復活したのだろうとか、クイーン復活後にルミナスがなぜ命を失わなかったのだろうかとか、あのお方がなぜあそこにいるのかとか
そんなことはどうでもいいのだ。というより、あえてラストは矛盾と省略としたのだろう。今回の最終話は、構成が物語そのものの核心を支えているわけだ。この感覚は前衛芸術的だよな。
補足1
プリキュア的に今回の最終回は、
- 論理的には全く正しく、構成的には破綻寸前であり、演出的には史上最高
であったと思う。そして構成の破綻を意図的に行っていると思う。もしそうならばとんでもないことで、すごいとしか今のところ言葉が無い。あの破綻の仕方は間違いなく物語の核心にとって欠くべからざる意味があると感じる。そして、
- 話数的にはアニメ番組の範疇を越えており、シリーズ的にはありがとう&あいしてる
と思います。物語だけを見ていては、今回示された物語は理解できない。構成と演出という作劇手法を物語の内容に積極的に繰り込んで物語を理解しなければならない。という意味において今回のラストは前衛芸術であると思う。
補足2
今回もやっぱりエヴァだなあとつくづく思うし、シリーズとしてもMHはエヴァだなあとしみじみ思う。 エヴァを真似したとかいうことではなく、庵野さんがエヴァで回答を示そうとしたことに、プリキュアがプリキュアとしての仕方で取り組んだということだ。今回のラストに対する悩み方(たぶんものすごく悩んでいる)、与えた回答(特にTV版のエヴァと同じく、メタ構造を物語の意味そのものにリンクさせていること)など、つくりかたでも並べることができると思う。
- この世界は私が生きる意味がある世界であるか。私はこの世界に存在する意味がある私であるか。
で、個人的にはエヴァよりも遠くへたどり着いたと思う。こんなことをこの枠の番組でやったのだから、奇跡だろうなあ。
補足3
2ちゃんねるのMHスレを眺めてみた。中途半端な理屈までしか読めない(読もうとしない)アニメ厨房は楽しくないようですね。作画厨は喜んでいるようだ。